〜前回までのあらすじ〜
自称猪木信者であるおじさんが見た映画『アントニオ猪木をさがして』!!
猪木さんがいない今、最も核となるであろう証言パートに絞って今回も映画を振り返ります。
この映画を観に映画館までやってくるお客さんはほぼ間違いなく
猪木さんが相当好きな人です。
猪木さんが亡くなってしまった今、本人からの新たなるお言葉はもちろん頂けません。
だからこそ生前の猪木さんをよく知る人のその人しか知らないようなこぼれ話、
もっと言えば猪木さんのちょっといい話が聞きたいのです!!
その為、猪木さんの愛弟子である藤波辰爾さんや藤原嘉明さんが語る
猪木さんとの思い出話を批判するファンはいないと思います。
藤波辰爾
歌手としても知られる藤波さん。
その歌声はリアルジャイアンとも呼ばれている。
そして現在の新日本プロレスのトップレスラーの面々。
棚橋弘至
1976年11月13日生まれ。
学生プロレス(立命館大学)出身。
当時のリングネームはメイ牛山、ハメ浩、ターナー・ザ・インサートなど。
サークルの先輩にはレイザーラモンRG、ユリオカ超特急がいる。
1998年入門テストに合格。1999年真壁伸也(現:真壁刀義)戦でプロレスデビュー。
棚橋弘至選手は父親がお父さんが猪木ファンで猪木の本名「猪木寛至」から一文字もらって
弘至となったと言うエピソードもある猪木さんと繋がりがありますが
プロレスラーデビュー(1999年)には猪木さんは引退(1998年)していました。
そこで証言パートではある意味伝説的なやり取りである猪木さんとの『猪木問答』になります。
猪木問答
当時の新日本プロレスの格闘技路線に不満を持ったエース武藤敬司選手が
小島聡、ケンドー・カシンら主力レスラーに加えて運営側のスタッフも引き連れて
ライバル団体『全日本プロレス』に移籍した直後の2002年2月1日、
北海道立総合体育センターにて実際に行われたアントニオ猪木と
新日本プロレス所属レスラーとによるキテレツな珍問答。
以下、実際のやり取り。
↓
猪木「おめえは怒ってるか!」
中西学「怒ってますよ!」
猪木「誰にだ!」
中西「全日に行った武藤です!」
猪木「そうか。
オメエはそれでいいや。
オメエは!」
永田裕志「すべてに対して怒ってます!」
猪木「全てってどれだい?」
永田「….」
猪木「言ってみろ。オレか?幹部か?長州か?」
永田「上にいる全てです!」
猪木「そうか。
奴らに気付かせろ!!
オメエは!」
鈴木健想「ぼくは自分の明るい未来が見えません!」
猪木「見つけろ!テメェで!!」
(無言で棚橋にマイクを向ける)
棚橋弘至「オレは新日本のリングで、プロレスを!やります!」
猪木「まぁ、それぞれの思いがあるから、それはさておいて」
猪木「オメエ達が本当に怒りをぶつけて本当の力を叩きつけるリングをお前たちが作るんだよ。
オレに言うな。」
橋本真也の「時はきた!」発言に続き
またもや笑いを堪える蝶野正洋。
これは名場面と言えば名場面ですが珍場面と言えば珍場面です。
まぁ、でも棚橋弘至選手は現在の看板選手の1人ではあれども猪木さんとの絡みが少ないので
猪木問答について言及する事になるのはしょうかないと思います。
猪木「そうか。
オメエはそれでいいや。
オメエは!」
※画像はイメージです。
オカダ・カズチカ
1987年11月8日生まれ。
15歳でプロレススクール『闘龍門』に入門。
2004年メキシコにてネグロ・ナバーロ戦でデビュー。
2007年新日本プロレス移籍。
その頃、猪木さんは2005年に新日本プロレスの株式を売却し事実上、
経営から身を引いている。
ちなみに劇中でオカダ選手曰く
「猪木さんとは3回しか会ってない」
との事。
バカヤローっ!!
※画像はイメージです。
確かに猪木さんと言えば偉大なプロレスラーであるのはもちろんの事、政治家、実業家と
色々な顔を持っているスーパースターです。
だから映画『アントニオ猪木をさがして』で証言する人達も
当時のプロレス関係者の証言だけでは足りないと言うのもわかります。
国会に卍固め!!消費税に延ずい斬り!!
しかし、そういった証言パートはあくまで
アントニオ猪木と言う天才の人生をもっと深く知る為に行われるべきです。
「もし猪木さんと戦ったらどうなると思いますか?」などの
猪木さんとのエピソードトークでもなんでもない質問は
そんなに尺を取ってやる必要はなかったように思えます。
もっと言えば海野翔太選手の
「猪木さんより棚橋さん」
的な発言は確実にカットすべきだと思いますし
映画に取り入れる事は観に来たファン、海野選手、
誰も得しないと思います。
今回は新日本プロレス50周年企画と言う事で
「猪木さんのプロレスも良いけど今の新日本プロレスもいいぞ」
的な意味で制作陣が入れたのかはわかりませんが
この映画を観に来たファン達はツーと言えばカー、
ダーと言えば猪木なのです。
ただ、湾岸戦争直前にイラクに乗り込んで人質救出した時に
一緒に同行して写真を撮り続けた写真家の原悦生さんの証言や
ブラジルに移民していた頃を知る現地の方など有名、無名問わず様々な方からの
貴重な証言で猪木さんの数奇な運命を振り返ってる点は
派手さはありませんが非常に見応えがあり貴重なお話だったのではないでしょうか。
原さん曰くこの時のダーは解放された御婦人からの提案でみんなでしたらしい。
婦人、惚れそうである。
しかし、そうこうするうちに激動の107分は過ぎ去ります。
そしてエンディングに流れる炎のファイター(アントニオ猪木のテーマ)と猪木の試合。
最後のシメにはもちろん猪木さんが仕切る1、2、3ダー。
(サイコー!!)
アントニオ猪木の試合、興行は常に成功していたわけではありません。
猪木さんの思惑どおりにいかず暴動が起きた興行もありました。
暴動
1987年12月27日 両国国技館で起きたいわゆる両国暴動のこと。
客置き去りの急な対戦カード変更に試合中にも関わらずリングに物が投げ込まれ
さらに盛り上がりにかける淡白な試合内容に
怒り出したファンが客席を破壊して火を投げ込む騒ぎに発展し
新日本プロレスは日本相撲協会から損害賠償請求を受け、
両国国技館の貸し出しは無期限で禁止になった。
頼むから帰ってくださいと泣きながら土下座する田中リングアナ(ケロちゃん)
しかし、猪木信者はどんなにハズレの興行でも
炎のファイターとダー
さえあればだいたいは満足して家路に着いたもんです。
(これもこれで猪木さんの映画らしいと言えば猪木さんらしいのかな…)
ふとそんな事を思いながら劇場を出ます。
107分の間にとにかく色々な感情が湧いた映画『アントニオ猪木をさがして』。
まだまだもっと楽しくなる要素や改善点はまだまだ山ほどあると思ったので
ぼくは是非とも続編を期待します。
タイトルは
『またまたアントニオ猪木をさがして』、
『もっともアントニオ猪木をさがして』、
『アントニオ猪木をさがしてリターンズ』、
『アントニオ猪木をさがしてフォーエバー』、
『まだまだアントニオ猪木をさかして』、
『さらば、アントニオ猪木をさがして』、
『帰ってきたアントニオ猪木をさがして』
なんて如何でしょう?
本日もご愛読いただき誠にありがとうございました!!
さて次回の学生気分のブログ物語は…
RRR⑱
上映1年超え!今なお関連書籍も続々販売するRRR!!再び立川シネマシティへ…!!
映画人生 劇場交差点 第36回
ご期待ください!!
次回更新日 2024年1月31日(水) 予定です。
コメント